ヲタ卒の準備
約10年のジャニヲタ人生に幕を閉じたくて、いろいろ書いてみることにしました。
2008年、友達にジャニーズのCDを何枚か借りて聴いてみたらすごく好きになった曲があった。
Step and Go。原点の曲。
ジャケットの松潤のかっこよさに衝撃を受けて、テレビでみるたびにウハウハしてた。
とんがりコーンのCMで翔さんと松潤を間違えたときはショックすぎて翔さんのこと嫌った。勝手に。土下座。
でもなんでそこから翔さんにハマったのかは全く覚えてない。
そしてその後"担当"という言葉を知る。わたしは櫻井担だー!って騒いでたなあ。
mixiとかアメブロとか、流行ってたSNSは一通りやってた。前略とかね。
ヲタ友もできて、とにかく楽しかった。
初めて嵐のライブが当たったときは手の震えが止まらなかった。
山梨から遠征(?)して、東京に住んでる親戚の家に泊まらせてもらったり。
当時はVS嵐が始まった頃で、お昼に30分だけやってた。部活終わりの1番の楽しみだった。
嵐の宿題くんとかも夜更かしして見てた。懐かしいなぁ。
毎週録画して次の週までには見てたし、最終回はもちろん泣いた。
そして2年後の2010年、北山宏光という人物を知った。
きっかけはここに書けないほど呆れたものだったけど、そこからKis-My-Ft2ってかっこいい!!!!とキスマイ沼にはまる(THE・ミーハー)。
最初はみっくんと藤ヶ谷の声の区別もつかないレベルだったなぁ(笑)
ライブは毎年行ったし、キスマイがわたしに舞台の楽しさを教えてくれた。
当然大好きな翔さんから降りることもできず、所謂掛け持ち状態。
しかしとにかくキスマイにお金がかかった…
どこからお金出してたんだろうって思うくらい。
ありがたいことに、初めて嵐のライブに行ってから、毎年ワクワクやらなんやらで生の嵐を拝むことができてたのが降りなかった理由でもあるかも。
しかも嵐は毎日のようにテレビでみれるからね〜…降りるとかそういうことは頭になかった。
嵐もキスマイも、はっきりした記憶はもうとっくにないけど、わたし的にはどちらにも全力だった。
そして2013年8月の終わり。
最後の担当である重岡大毅という人物に気付いてしまう。
きっかけは友達が見せてくれたin大阪。
負けへんでBabyを歌ってた重岡くんの笑顔が、誰よりも輝いて見えた。
その年のAnother東京公演のチケットをわたしを重岡くんの沼に引きずり込んだ当人(語弊)のために探していたなんて、当時のわたしにアンパンチしてやりたい。お前も行けよって。
重岡担になって一番大きかったのは、デビューを見届けられたこと。
何年もジュニアだった重岡くんを応援してたわけではないのに衝撃的なカウコンでのデビュー発表に立ち会ってしまったけど、だからこそ、7人でデビューできた喜びも大きかった。
重岡担になってから何年かはやっぱりみっくんから離れることができなくて、ライブにも行ったしCDも買ってた。
そのうち気持ちが完全に重岡くん一筋になって、CDも買わなくなったし唯一買ってたDVDも遂に封を開けることをしなくなった。
嵐は親も好きだったから円盤は全部買ってたけど、やっぱりこれも開けなくなった。
親のためっていう義務感だけで買ってた。
嵐の円盤を買わなくなったのはつい最近だけど、気持ちはもうとっくに薄れてた。
長いことジャニヲタ人生を歩んできたわたしにとって、FCの更新を怠り、期限切れになるなんて誰が予測できただろうか?
自分でもこんな日がくるなんて思ってなかった。
でも、嵐もキスマイも、気が付いたら切れてた。
終わったな、って思った。
重岡くん一筋でいこうって気持ちの整理がついたのは2016年。
ラッキィィィィィィィ7(通称ラキセ)の年。
この角度から重岡くんをみたい!とか、団扇見てもらいたい!とか、そういう感情が芽生えてしまった。
それまでは見に行けたらそれだけで幸せだった。近くでみれたらより一層幸せだった。
重岡くんは、初めて視界に入れてくれた。
団扇をみて、その空間でのわたしの存在を肯定するかのように、大好きなキラキラの笑顔を見せてくれた。
だから公演も増やしたし、会場も増やした。
なうぇすとは入った数でも行った会場でも過去最多記録を更新した。
信じられないけどこれって去年の話なんだよね。
これだけ入ったんだからまぁ満足した。重岡くんもきっと団扇をみてくれたはず。
こんなに満たされるんだなぁ、なんて。
なうぇすとのわたし的ラストは3月の大阪公演だった。
大阪に行くといつも友達がたくさんいて、一人で行っても楽しかった。
もちろんこの時も、ずっと誰かが相手してくれてたからとーっても楽しかった。
そして同時にわたしのジャニヲタ人生の終わりが近づいていた。
まさか重岡くんへの気持ちが冷めるなんて。
本当に周りも自分自身も、これっぽっちも予測してなかったと思う。
明らかな原因は二つ。
一つは重岡くん個人の仕事が関東でみれなかったこと。
オーソレは関西ローカルだし、ドラマに出るのはいつも重岡くんじゃなかった。
だから、重岡くんがセンターじゃない瞬間が多くなってしまった。
仕事がなくても、それでも常に真ん中で歌えてたらもっと続いたかもしれない。
そしてもう一つは、元の趣味に再熱してしまったこと。
世界で一番かっこよくて、世界で一番尊敬する人を見つけてしまった。
見れば見るほど、知れば知るほど、その人の応援をしたくなってしまった。
その人の応援の仕方は小学生の頃に覚えた。
ジャニーズよりも近い距離で応援できるし、ジャニーズよりもお金がかからない。
何もかも全部知ってたから、その人に気付いて1ヶ月後には現地で応援してた。
その人に気付いたのが9月。
WESTivalが始まったのは1月。
もう、モチベとかそんなんとっくになかった。
でも大好きな友達と連番できるっていうことだけがわたしをライブ会場である横浜アリーナへと導いてくれた。
乗り越しラブストーリーは号泣したし、ライブが始まる1月までにもう3回もその人を見てたから、アイドルってすごいなぁって思ったりもした。
でも、それだけだった。
その後の会場へはわたしの足は向かなかった。
シーズンが丸かぶりだから、いまのわたしにはその人を優先する選択肢しかなかった。
気持ちが薄れていたからか、横浜公演で満足したし、当日まで座席がわからないのは精神的にも辛かった。
そんなジャニーズのチケット事情とは裏腹に、その人は本当に近くで応援できた。
発売日に頑張れば、最前のチケットを手にすることができた。
距離が近ければ近いほど値段は高くなるものの、約10年もジャニヲタだったわたしにとって、値段で座席が分かれてるのは魅力的だった。
試合終わりにどれだけ寒かろうと、辛抱して待ってれば大好きなその人に声をかけることができた。
そして、初めてその人にわたしの声が届いたとき、念願のツーショットをお願いしたら快く受け入れてくれた。
プチン、って音がした。
重岡くんへの気持ちが切れた音。
ほんとはとっくに気付いてた。
かっこいいともかわいいとも思わなくなってたことに。
でも、気付かないフリしてた。
いや、気付かないフリしかできなかった。
気付きたくなかった。
9月以降その人しか見てないことで、友達を失いたくなかった。
そう思いながらも、ツイートはほとんどその人のことばかり。
そんなわたしでも、友達は受け入れてくれた。
怖かったんだなぁ、友達が離れていくのが。
そしてとうとうWESTのCDも買わなくなってしまった。
だから、重岡担って名乗るのはもうやめにしました。
重岡くんにはたくさんのありがとうを言いたいです。
ライブに行ったら必ず幸せな気持ちにさせてくれてありがとう。
重岡くんの笑顔はわたしにとってなによりの力でした。ありがとう。
いつもわたしの光でいてくれて、ありがとう。
長い長いジャニヲタ人生で、最後に出会ったのが重岡くんで本当に良かったです。
これからは、影ながら応援しています。
頑張ってね!!!!!
ジャニーズを介して出会えたすべての友達に感謝しています。
時には喧嘩して、縁が切れて、また新しい友達と出会って。
その繰り返しだったけど、それがジャニヲタの醍醐味かなって思いました。
こうなってみると、自担に沸いてるみんなが羨ましいときもあるけど、でもわたしはいまが一番幸せだって胸張って言えます。
みんな本当に大好き!
いつもありがとう!!!
これからもよろしくお願いします!!!!!